登校拒否
解決脱出記 登校拒否と適応障害、治った記録登校拒否
漂流及び脱出記 苦しみ、治った記録登校拒否
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漂流及び脱出記 苦しみ、治った記録

アベルの適応障害、登校拒否の体験談

 

一人で遊ぶのが楽しかったからゲームばかりしていた。

プレイステーションに熱中したり、塾の友達とゲームセンターでお気に入りのゲームをよくやっていた。

中学に入って勉強しない自分を母親はよく怒った。成績が悪かったときはプレイステーションを隠されたり、ヒステリックにぶっ壊された。

父親に頼むとすぐ買ってくれたが、それで両親が大げんかをしたこともあった。

成長するにつれて親に対して反発を感じるようになって、すべてがばかばかしくなってしまった。

でも家出するような人間じゃなかった。ただ自分の心に抑圧するだけ。

中学もつまらなく、担任だけじゃなくて、あらゆる教師を憎むようになった。

授業をさぼるようになって、すぐ早退したり、保健室に行くようになった。立派な適応障害だったかな。

そんな自分だからよけいクラスの奴らは自分と接点を持たないようにしてた。

林間学校の部屋割りでも他のあぶれものと一緒になって、それ以降学校に行くことをやめた。

母親には通っているように見せて朝家を出て、適当に時間を潰していたが、警察に補導されてしまった。

それでばれて、猛烈に怒られたし、ビンタも食らった。

でも強引に学校に行くことをやめるようにした。

本当に学校に行かないことは楽だった。登校拒否 がなんだ、万々歳だ!

もう再登校はしたくなかった。

親とは押し問答があったけれど、押し切った。

将来のことはよくわかっているけれど、苦しい気持ちを少しでも避けたい気持ちの方が勝っていた。

学校に行って何になる! 勉強なんか他でいくらでもできる。

親から見ると将来が心配なのはわかるけれど、親に干渉されたくなかった。

自分の問題だし、あんたのせいでこうなった原因もあるんだ、と言いたかった。

駄目人間になっていく漠然としたいらだちを母親にぶつけたものだ。

言い過ぎたかなと思ったけれど、やっぱり母親(と父親)のせいなんだからと自己嫌悪を打ち消した。

自意識も目覚めて感受性もついてきたし、知識もついてきたから、問題の大元が家族にあるだろうとは感づいていた。

でも今書いているから親への不満があったんだってわかるけれど、当時ははっきり認識していた訳じゃない。

明瞭な気持ちではなくて、ぼやけていたけれど、それでもそう感じていたんだなと思う。

もちろん両親のせいは100%じゃないと今は知っている。

自分の責任の方が大きかったかもとおもうけれど、感じやすかった子供心にふりつもったことを考えれば……。

もろい心を持った自分の気持ちをずたずたにした両親への不信感は増すばかり。

人への恐怖感がクラスメートや担任、教師から、漠然と人全般に拡大した。

緊張感がずっと続いて、それは父親へも同じだった。

母親には緊張感はあまりなかった。

それが逆に、よく母親を泣かした原因かも。

泣く母親に妙にイライラしたことを覚えている。

泣かれるとますます自分への肯定の感情がなくなって、否定の部分が大きくなった。

僕なりの必死の抑圧のはけ口に母親を利用していたのだ。

自分だってどうにかしたいのにとそのときは思うけれど、すぐ気持ちが萎えてしまった。

いつか抜け出そうと思っていたけれど、思うだけに思った。ズルズルと人はこうしてダメになっていく。

まだ10代だから時間があるという気持ちのときと、自分の思い描いていた青春がすべて出来なくなった焦りが渦巻いていた。

いらだったり、不安になるのが嫌だから、逃避してゲームばかりする。

ゲームしか自分の心を安定させる、少なくとも悪い感情を抑えることが出来るものはなかった。

でも、人ってなにか希望みたいなものを感じなければ生きてはいけないと思う。

自分の場合、学校を中退した人の方が結局世の中で成功を収めていることに希望を見いだした。

学校なんか行かなくても大成できる。行かないからこそ大成できる! 登校拒否 がなんだ、不適応者がなんぼのもんじゃい!と。

今となっては情けないと思うけれど、学校をまじめにこなしていた奴らは、何にも成し遂げることが出来ないとまで思っていた。

必死にそう思おうとしていた。

組織や集団になじめない人の方が可能性があるんだって。

でも、なじめなかった人でも、成功する種をもっているから、ドロップアウトしても進んでいけるものだと今は気づいています。

成功の種を自分の心にまいていない人は、ずっと引きこもり、ニートで行くのかもしれない。

自分の場合は、そういう可能性のない希望ばかりを大きく考えていて、成功する種をはぐくもうとしていなかった。

とっても恥ずかしく思う。

なんて自分はバカで傲慢で小心者なんだって……

顔から火が出そうだ。

 

冷静に振り返られる今だからこうやって書いているけれど、すべてが五里霧中の世界で僕は生きていた。

暗礁ばかりのなかを光もなく、手探りで進んでいる難破船だったのだ。

導いてくれる灯台の光なんかどこにもない。

何でも僕は難破船に乗っているのだろう?

ひょっこりひょうたん島で漂流しているのではない。ドンガガチョ(ひょうたん島の大統領)がいたらまだ良かった!

でも僕はたった一人ボロ船で漂流していたのだ。

 

でも、暗礁に乗り上げる前に僕は希望の光を照らし出してくれる灯台を見つけることができた。

それは次のお話です。

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